救いようのない中学校現場をどうするか
― 私の提案「最も身近で効果の大きい教育改革を」

田口房雄

 せっかく苦労して育てた我が子が、極度に歪んだ日本の教育制度の犠牲となってしまったら、こんなに悔しい思いはないでしょう。「自分は今の中学校から大 切にされていて幸福だ。」という気持ちの生徒は、何人いるのでしょうか。私は8年前まで13年間、柏市立の中学校で社会科を教え、現在は退職、中学1年生 のひとり娘がいますので、中学校を念頭にして述べていきたいと思います。

 日本の中学校はあまりにも悲惨なところです。子どもたちの自尊心はズタズタに引き裂かれ、自立をめざす若者にとっては強度の苦痛をうける学校システムに なっています。小説家で開高健賞奨励賞を受賞した、中学校の経験もある現役の小学校教師でもある永山彦三郎さんは、著書である『学校解体新書・世紀末の教 育現場カラノ報告』(TBSブリタニカ・99年6月3日初版)では「内申書重視と推薦枠拡大の問題は、ここ10年、中学校を大きく浸食してきました。…… 僕は、この2つの制度は中学生の心を荒廃させた、と思っています。にもかかわらず、文部省および中央教育審議会は、このシステムをさらに強化しようとして います」と述べていますが、非常に鋭い表現なので、もう少し引用します。

 「いま学校は……瀕死の状態です。生徒も教師も誰もがうまく呼吸もできず、窒息寸前です。毎年10万人もの生徒が「学校」から逃走しています。あるいは 学校内部にとどまっていても、多くの生徒が自分を「透明」化させています。どうしようもない閉塞感、言葉に表すことのできないもどかしさを感じていま す。……問題は、学校に流れる時間が希薄化し、空虚になり、子どもたちの願いや夢をどんどん奪っているということです。学校にいればいるほど、学校になじ めばなじむほど、子どもたちから生気が奪われているのです。」

 私はかつて、これ程までに現状を厳しく指摘している文章に出合ったことがなかった。この明解な表現は多くの賛同を得るだろう。次に『人間を幸福にしない 日本』という衝撃的な題名の著書である、ウォルフレンは次のように言っています。「文部省に目を転じてみると、同省の抑圧的な政策は、日本の学校制度をま すます深刻な危機に陥れつつある」(『日本/権力構造の謎』90年刊、早川文庫)。

 私がなぜ、たくさんの文章を引用したかといえば、救いようのない中学校現場を強く認識してもらいたかったからです。学校現場で最も大切にされていること は、生徒指導上の「教師集団としての指導の一致」です。だから少数派の良心的教師は、自らの教育理念を隠して生徒たちと対応しなければならないので、その 矛盾に苦しみます。しかし、ここで引用した学校情況の認識に立てば指導の一致≠アそが、子どもたちをさらに追いつめるところとなり不一致≠フ状態で は、逆に教師の個性がよくわかるようになり、心を開いて両者は交流できる。そしてそれぞれの教師によって対応の異なることについては、無理に一致≠ウせ ずに、現状としてはお互いに指導の不一致≠許容し合うような、教師一人ひとりの独自性が尊重されるような教師集団が形成されていったら、すばらしいこ とだと思います。不一致≠フ部分についてはそのまま放置はせずに、関係者による連続的な公開の議論によって、絶えず検証していく作用が必要です。このよ うなくり返しが改革のエネルギーとなっていくのです。前出の永山氏は同じ著書でさらに続けています。

 「僕が夢見る『学校の風景』について……もちろん服装や髪型についての細かい規定はありません。ただそれは講座の先生の考え方を優先する、という方針で いきます。たとえば飲み物の持ち込みを可とする先生もいれば、それを不可という先生がいても、それはかまいません。」教師の教育活動の多様性はこのよう に、ひとつの合理性があれば、賛同者の数に関係なく最大限に保障されるべきなのです。そのような学校環境の中から生徒たちは価値の多様性というものを実感 し、自分の人生観を作り上げていくのです。このような観点から学校を再点検してみると、戦前の学校とまったく変化はないのです。

 それでは具体的にどのような方策を取れば、子どもたちの心の破壊を最小限にくい止められるのか、中学校に限定して提案をしていきたいと思います。中学校 を取りまく外的要因には何も変化がないことを前提条件にしているので、決して理想的な方法だとは思っていません。しかし生徒や親の苦しみを1日も早く減少 させなければいけないという緊急性を重視しての提案です。

 教師は、授業や学校行事への参加を生徒に強制しないということです。学校にいる時であっても「自分の時間は自分で責任を持つ」「自分で納得のいく時間の 過ごし方をする」という生徒の生き方を保障するためです。「すぐれた学校行事であっても、生徒自身が希望して参加しない限り、教育的効果はなく弊害だけが 残る」そんな私の考え方が基本になっています。このような選択の自由が認められれば、今まで学校との関係を不本意にも絶ってしまわなければならなかった不 登校生にとっても、学校との部分的なかかわり方が、当然の権利として認められることになるので、使い勝手がよくなるのです。

 ただし授業や学校行事に参加しない生徒の居場所が問題になりますので、地域の人々の応援を得るなどの工夫が必要になってきます。しかし現状では教室内で 授業を受けている他の生徒に、実質的な学習障害とならない範囲で授業をさぼる℃ゥ由は容認されるべきだろう。限定された空間ではあっても、目的意識を 持った何らかの創造的な行為として、その時間が教室内で利用されればいいと思う。そして考えが改まったら途中から学校行事に参加するのもいい。生徒に学ぶ 意欲が出てきたら、たとえそれが以前にさぼった授業であっても、どこか難解なところが出てきたら、いつでも個人的に教師から教えてもらうことができるよう な、アフターケアのあるシステムを作っておくことだ。

 そして、授業や学校行事をさぼる行為は、内申書や推薦入学に際して、本人にとって不利な評価をされないという確約をする必要がある。そのような対策をと らないと不完全な自由になってしまう。そうすると校内テストの成績だけで教師は評価をつけることになる。しかしこれは改善だ。行事や学習意欲などを評価の 対象とされるより、テストの点数だけという方が評価を絶対視せずに限定的なもので「ほんとうの自分に対する評価ではない」と生徒は理解するので、かえって 評価の弊害は少なくなるだろう。しかも、自らが放棄した授業中や行事の時間に、別の有意義なことをやっていて充実感を味わっていたのだから。

 この提案に対して「それぞれの教師が自分の判断でこのような生徒の存在を認めていたら、学校では成立しなくなる」として強く反対する声が聞こえてきま す。しかし冷静に考えてほしい。もうすでに学校は崩壊しかかっているにも拘らず、入試や校則などの非教育的な強制手段を使って、時には生徒や親をだまして 学校は維持されています。このような学校側のおどしのシステムに屈せず、自らの人生を開拓していこうとする中学生が増えてくることは、むしろ歓迎するべき ことでしょう。学校教育から自由になれる空間が、校内・外で備わってくれば、自然に子どもたちの秩序感覚が育ってくるので、学校や地域社会は決して混乱す ることはありません。

 さて、次に私がどうしても許すことができない、中学校の不誠実でサギ的な校則「制服、校内服ジャージ、体操服などの学校指定服の強制着用」についてで す。関係者による開かれた議論は一切することがなく、高額なこれらの指定服を一方的に購入させられるのは、激しい憤りと屈辱感を覚えます。今回は紙面の都 合で詳細には述べられませんが、指定服などの服装規定が与える子どもへの精神的、肉体的苦痛や価値観の画一化、横並び志向、異端者探しのいじめ、など想像 を絶する害悪が存在する制度だと思っています。柏市立の数校の中学校では最近、カバンについては自由になりましたが、残暑の厳しい9月中旬、窮屈で暑苦し そうな紺のジャンパースカート姿の私の娘を見ていると、悲しみがこみ上げてくるのです。だって、確実に心は壊されていくのだから……しかし、このような私 の心を娘の前で語るのはタブーです。

 1990年3月、「中学校の制服は強制ではない」という最高裁判決が出され、同月の柏市議会で当時の教育長は「制服とは言わずに『標準服』とか『奨励 服』とかいう言葉で呼ぶべきもの」とし同年9月市議会では「拘束性、強制的色彩は薄い」と答弁しています。東京・杉並区立中学校では9校が、千葉県内でも 千葉大付属中を含め3校が私服通学を認めています。快適な生活を送る権利があるわけだから、このような判断になるのは当然のことなのです。賛同者がいくら 多いからといって「校則」として指定服に強制力を持たせるのは人権無視の考え方です。「学校の指定服『制度』を考える会」では、次にあげる(1)と(2) の文面で、柏・我孫子両市で、今年の3月市議会に陳情しました。

 (1)「その服装が明らかに危険なものであったり、あるいは学習・教育課程の妨げとなるほど不適切なものである場合以外は、生徒には自分自身の服装を決 定する権利がある(子どもの権利マニュアル・日本弁護士連合会編)
 (2)「女子中学生の通学服として、ズボンの着用(形、色、布地などについては学校指定とする)を許可してください」

 この結果については柏市は(1)(2)を、我孫子市は(1)だけを否決しました。もっとも議会の採決結果については、何の強制力もありませんが、一部の 良心的な議員を除いて、ことの重要性が理解されていないのです。

 さて、ここに上げた私の提案と許せないこと≠ノついて反論などがあるかと思いますので、ぜひ編集部を通して連絡を下さい。私が在職時代から、いつも心 に抱いていた内容についてまとめてみました。学校現場を退いた今でも時々、夢の中に当時の様子がリアルに再現されますが、教師のみなさん、試行錯誤で教育 改革の継続をお願いいたします。

(元柏市中学校教員)  

千葉県教育文化研究センター編集「ちば・教育と文化」57号
1999,11,5発行